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yoshiko's colorful life -growing diary☆

都内在住ワーキングママ yoshikoが、セミナー、様々な人との出会い、本などから学んだことをアウトプットして行動を変え、日々目標管理に励みながら、キャリアや人生のゴールを目指す日々の奮闘を書きます!今の興味は知財でのキャリアアップ(企業内弁理士)、キャリアと育児の両立、英語、子育て、国際交流、地域交流、セミナー情報等。お問合わせはこちらから☆https://ws.formzu.net/fgen/S86050461/

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yoshiko's colorful life-子育てdiary☆

http://coloful-life.hatenadiary.jp/

子どものこころにふれる整体的子育て☆ブックレビュー

子供を抱きしめて、触れて、感じたくなる

そんな素敵な本でした。

子どものこころにふれる 整体的子育て

子どものこころにふれる 整体的子育て

 

心に留めておきたいことを書きます。

  • 人間の欲求や運動が具体的な行動や形になる以前の段階で観察する
  • この時だけはあなたしかいないというくらい濃密な時間を持つ
  • 一息四脈を意識する
  • 愉気」で優しく手を当てる
  • 子供の体の声を聞く
  • 触れることで「私」を感じ「他人」を感じる
  • 頭の中を考え事や予定で一杯にしない
  • ケガに心を残さない
  • 子供の「結果」ではなく「プロセス」そのものを認める
  • 素直に謝ることで、子供と対等な関係を築く
  • 「責める」のでもなく「弁解する」のでもなく「共有」する
  • 子供の呼びかけに「答える」のではなく「応える」
  • 最後の仕上げは子供の手で
  • 子供を見て、聞いて、触って、それらが語っていることに耳を澄ます

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人間の欲求や運動が具体的な行動や形になる以前の段階で観察する

子育てのベースとして「野口整体」と「シュタイナー教育」の二つの柱がある
この二つはそれぞれ異なる観点から人間を観察することであるが、そこに通底した人間の捉え方がある

それは人間の欲求や運動を、 それが具体的な行動や形になる以前の段階で観察していくというもの
そのためには自らの身体知や感覚といったものを磨いて行かなくてはならないが、その中で研鑽の中で2つが交わる結び目と触れる瞬間があり、そのたびその結び目の深さに幾度となく驚かされてきた

 

この時だけはあなたしかいないというくらい濃密な時間を持つ

現代人のように頭でっかちになってくると理屈を最優先し、 繊細な感受性を無視してしまいがちになるが、 子供のようにいちいち理屈で考えるという習慣のない頃はまだとても繊細に「気」のようなものを重要な判断基準にする


大人に世話してもらえなければ生きていけない状態で産まれてくる人間の子供にとっては、 自分に「気」を向けてもらえるかどうかは命に関わる大問題


だから気の集中に敏感に反応するのも当然のことで子供たちが何でこんな時に限ってと言うタイミングで何かをしでかすもの

 

人が自分に対する気の集注を一番感じられるのは、自分のありのままを見てもらえた
見ている人の都合ではなく、自分の事情により沿ってみてくれていると感じられた時


自分の都合やその子以外のすべてを差し置い、 この時だけはあなたしかいないというくらい濃密な時間を持つこと

 

一息四脈を意識する

人は誰でも吸って吐いてという一呼吸の間にだいたい4回ぐらいの脈をうっている
これを「一息四脈」と言って、生命が生まれながらに持っている自然のリズム
この1対4というバランスさえ保っていればひとまずは安心

 

愉気」で優しく手を当てる

家庭でできる手当として「愉気」というものがある
愉気」というのは痛いところや気になるところに、手のひらで呼吸をするようなつもりでじっと手を当てること
痛いところに手を当てるというのは無意識で本能的な振る舞いで、生物が進化の中で手につけた自然の手当て

 

子供の体の声を聞く

その子に意識を向けてその子を感じる
手のひらで触れながら脈や呼吸や体温を感じる
ありのままの状態をじっくり受け止められていると感じた子供はその集注に安心して自分本来の自然な状態に帰れる


こちらから何かするより相手を感じることを大切にして、子供に手を当ててみる

 

触れることで「私」を感じ「他人」を感じる

とにかくたっぷり触ってあげることは子供が「自分」という存在を自覚していく助けになる
やがて「私」というものがはっきり自覚されてくるにつれ、子供は他人というものがわかってくる

触れられる感覚というものは「私」を感じると同時に、「他人」を感じるきっかけともなり、それはまさに他人とのコミュニケーションそのもの

 

頭の中を考え事や予定で一杯にしない

子供に「気をかける」ということは、日頃から頭の中を考え事や予定などでいっぱいにしないということ


頭の中がいっぱいだと話しかけられても気づかないぐらい感度が鈍るし、目の前のことが見えなくなる
子供は常に「今ここ」で生きているので、親が考え事をして今ここから離れてしまうと子供との交流は起こらなくなる


忙しいからと心ここにあらずのまま子供に接していると、言葉のやり取りはあっても気の交流は起きていない
敏感な子どもならママはここにいないと感じる

 

ケガに心を残さない

子供が怪我をした時に、ケガにまつわる出来事に不満や未練を残させない
そのためにはまず最初の訴えをまるごと受け入れる


怪我をしたと訴えてきた時に、つい大人は「それくらい大丈夫よ」と声をかけてしまいがちだが、手紙そうではなく「痛かったね」と訴えを認めてあげる

 

子供の「結果」ではなく「プロセス」そのものを認める

子供の行為をどのように認めるかということは本当に難しいものですが、とにかく大事なことは認めるときのその焦点を「結果」や「外部」におくのではなく、その「プロセス」やその子の「内部」に置くというもの
絵を描いているということそのものや、絵を描くその子の心象そのものを、丸ごと認めてあげるということ
「絵を描くのが好きなんだね」「楽しいね」と、絵を描く自分そのものを認められた子供は、きっといつまでも絵を描くことの喜びを保ち続けることでしょう

 

素直に謝ることで、子供と対等な関係を築く

親子の間でも「謝る」という行為を通して対等な関係を築く
大人がまず謝るべき時に子供に素直に謝りその振る舞いを見て子供は素直に謝るということを学んでいく


謝った後には必ずとこに清々しい関係が生まれる
それは人が対等な関係になれる時に感じる美しく素晴らしい情緒体験

 

「責める」のでもなく「弁解する」のでもなく「共有」する

忙しくて子供の話を聞けなかった時は、ちょっと間をおいてでもいいから「さっきお母さん忙しくて話を聞けなくてごめんね」と先の出来事を言葉にして、二人の話し合いのテーブルの上にポンと上げる
「傷ついた/傷つけた」ことは、言葉にして「共有」するということ
「責める」のでもなく「弁解する」のでもなく、「共有」する

 

子供の呼びかけに「答える」のではなく「応える」

子供が何らかのメッセージを発信していると気づいた時にはそのメッセージに対してきちんと返事をしてあげる


その時に重要なのは「答える」ことというよりも「応える」ということ


私たちはメッセージに対して答えを出そうとしてどうしていいのか頭を悩ませがちですが、子供に対してまず大事なのは答えその場ですぐ答えるということ
レスポンスを返すということ
気がついているよと返事を返してあげること


それが上の空ではないきちんと心のこもった答えであれば、子供は必ずその心を感じるし、それだけで気になることがおさまることも多い

 

最後の仕上げは子供の手で 

整体で考える終わり方の大事な原則として「完成を自分の手でさせる」ということがある


例えば子供が服のボタンを止めようとしている時、 止めづらいボタンだけ大人が止めてあげて、それから残りのボタンを自分で止めて完成させる

 

現在の大量消費社会では本来自分はやるべき仕事を誰かに代行してもらうことで成り立っているが、そのように高度に発達したシステムの中で私たちには見えづらくなってしまっているプロセスがある


そのプロセスをぼんやりとでも子供の時に体験させたり、空想させたりしておくことは大切なこと
それが私たちが生きているということの根っこの部分になる

 

世界は用意されているのではなく、誰かに完成してもらうものでもなく、自分の手で完成させていくという原体験が世界と積極的に関わる姿勢を作り、ひいては子供の気力、体力、知力、元気を育てることになる


病気が治っていくということも、怪我が癒えていくということも、今まで出来なことできなかったことができるようになるということも、それは結局自分の持っている力の発揮によるものだということ


その事実を子供に実感させてあげるために、大人は子供がやるべき最後の仕事を大切にしてあげてほしい

 

子供を見て、聞いて、触って、それらが語っていることに耳を澄ます

言葉を知らずものの名前も知らない子供たちは「言語以前」の世界を生きている
そこではみんな言葉ももたないゆえに、言葉以外の五感を使って体でコミュニケートしている

 

何か悩むことがあれば子供の体に聞いて、そして子供に聞いてみてください
子供はまさにその世界を生きており
子供を見て、聞いて、触って、それらが語っていることに耳を澄ましていると

そこに悩みを解決する糸口があるはず